コラム 「日本史を歩く」 静岡県掛川市の横須賀城 の記事
2016年4月6日(水)朝刊21面(文化面)左下のコラム「日本史を歩く」 *横須賀城 静岡県掛川市 入り江に家康が築城 より
最初の段落がおかしい。
甲斐武田家を次いだ勝頼は、偉大な父・信玄を超えるべく領土拡大をしゃにむに進め、1574年、父が落とせなかった遠江の要衝、高天神城を攻略した。時期に異説はあるが、城を奪われた徳川家康は奪回するために76年、約5㌔離れたこの地で築城を始めた。
武田勝頼について述べた最初の文に比べ、第2文は肝心の家康についての表現が中途半端である。「徳川家康は」で区切っていない上、「奪われた・・奪回する」と重複していることが原因と思う。また、『奪われた城とは別の新たな城を築いた』という点も分かりにくい。以下は改善案。
甲斐武田家を次いだ勝頼は、偉大な父・信玄を超えるべく領土拡大をしゃにむに進め、1574年、父が落とせなかった遠江の要衝、高天神城を攻略した。時期に異説はあるが、徳川家康は76年、奪回を目指し、約5㌔離れたこの地で新たな城を築き始めた。
縦書きには、ウェブページで縦書きレイアウト を利用させていただいています。
最初の段落がおかしい。
甲斐武田家を次いだ勝頼は、偉大な父・信玄を超えるべく領土拡大をしゃにむに進め、1574年、父が落とせなかった遠江の要衝、高天神城を攻略した。時期に異説はあるが、城を奪われた徳川家康は奪回するために76年、約5㌔離れたこの地で築城を始めた。
武田勝頼について述べた最初の文に比べ、第2文は肝心の家康についての表現が中途半端である。「徳川家康は」で区切っていない上、「奪われた・・奪回する」と重複していることが原因と思う。また、『奪われた城とは別の新たな城を築いた』という点も分かりにくい。以下は改善案。
甲斐武田家を次いだ勝頼は、偉大な父・信玄を超えるべく領土拡大をしゃにむに進め、1574年、父が落とせなかった遠江の要衝、高天神城を攻略した。時期に異説はあるが、徳川家康は76年、奪回を目指し、約5㌔離れたこの地で新たな城を築き始めた。
縦書きには、ウェブページで縦書きレイアウト を利用させていただいています。
コメント 0